Gmar chatimah tovah (גמר חתימה טובה)、a-box-of-chocolateです。左記の挨拶は、ヨム・キプールにおけるヘブライ語のあいさつで、“A good final sealing.”を意味します。宗教的な意味合いをかいつまんで説明すると、”「いのちの書(the Book of Life)に、私たちの運命が封印されますように」”という信念が背景にあります。小難しいですが、そういう伝統的な挨拶だそうです。
さて、戦争一周年を迎えたあたりから、イスラエル全土でのテロ攻撃が頻繁に起こっています。ジャッファでの銃撃に続き(私がよく買い物にいくエリアです…)、ベエル・シェバでのバス停での銃撃、ハデラ市内での刺殺テロ、そしてISISによるテルアビブ市内のショッピングモール爆破計画(未遂)。すべてイスラム系住民によるテロ行為であり、反ユダヤ主義の高まりを感じます…。シェルターがないところや、不特定多数の大勢の人が集まる場所は避ける、くらいしか自衛できないので、外出も控えめな生活です。国民が不安を抱えていても、戦争にまい進するネタニヤフ政権…もう誰にも止められないのか?と不安は増すばかりです。彼の考え方や発信している言葉は、私は共感できないことの嵐なのですが、詳しく知りたい方はネタニヤフ氏のX(旧ツイッター)などをご覧ください。
そんな不安定な国勢ではありますが、10月のハイホリデーシーズンはまだまだ継続中。ロシュ・ハシャナーに続いて、ヨム・キプールを迎えたイスラエル。こちらもユダヤ教祭の一つですので、どんな祝日なのかお伝えしたいと思います。
The Day of Atonement -「贖罪の日」を意味する、ヨム・キプール。罪を悔い改めることに心血を注ぐ祝日。
וֹם כִּפּוּר と書いて、 ヨム・キプールと読みます。כִּפּוּר(Kippur)の意味はatonement(償い、罪滅ぼし)やforgiveness(許し、容赦)、וֹם (yom)の意味はday(日)、よって日本語では「贖罪の日」と言い表されています。ユダヤ教において一年で最も神聖な日で、「人々が神と魂の本質に最も近づく日」のことです。聖句には「この日に神はあなたを赦し、あなたを清め、神の前にあなたのすべての罪が清められる」とあるそうです。
ロシュ・ハシャナー期間中は、パンくずを投げ込んで罪を捨てる、という伝統的ふるまいがありますが、ヨム・キプールにおいては「罪を反省して嘆き、神様に許しを乞い、身を清める」。ある意味、二段階での自浄が目的の祝日?という印象です。それもそのはず、ユダ新年から10日間は「懺悔」の期間されていて、その最後の集大成=ヨム・キプール(贖罪の日)に当たるのです。
2024年は、10月11日金曜日の日没数分前(17時51分)から10月12日安息日の日没後(18時48分)まで。身を清める方法とは、主に断食です。
約25時間「魂を苦しめる」、つまり、飲食を控え、入浴を避け、革の履物を履かず、夫婦関係を断ちます。電子機器にも一切触らず、車にも乗りません。その代わりにシナゴーグで一日を過ごし、許しを祈る。これが伝統的な(おそらく正統派ユダヤ人が実践する)ヨム・キプールの過ごし方です。
ヨム・キプールの起源は、「旧約聖書・出エジプト記」
イスラエルの民がエジプトを去ってからわずか数か月後 (紀元前 1313 年)、彼らは金の子牛を崇拝するという罪を犯しました。モーセはシナイ山に登り、神に許しを祈りました。山に40日間滞在した後、神の恵みは完全に得られました。モーセが山を下りた日 (ティシュリー月 10 日) は、永遠に贖罪の日、ヨム キプールとして知られるようになりました。
その年、民は神の移動可能な家である幕屋を建てました。幕屋は祈りと犠牲の捧げ物の中心でした。幕屋での礼拝はヨム キプールで最高潮に達し、大祭司が特別に定められた礼拝を行いました。この儀式のハイライトには、至聖所(箱が収められていた場所)での香の供え物と、2頭のヤギを使ったくじ引き(1頭は犠牲として捧げられ、もう1頭は荒野(アザゼル)に送られる)が含まれていました。
参照サイト:
「民が金の子牛を見て、神が激怒する」=罪、という下りが、私にはちょっとわかりづらい話なのですが…とにかくその「罪」を悔い改めて神様に許してもらうという行いが、ヨム・キプールの起源とされています。「七夕さま、この夏は痩せますように!」「神様仏様~、合格祈願!お願いします!!」などなど…自分の贖罪意識など思いを馳せることもなく、なんでもかんでも神頼みしまくる日本人の信仰姿勢って(しかも5円とか10円程度のお賽銭で)、なんとも厚かましいのかも?と思ってしまいました笑。
ラビ(宗教家)など、ユダヤ教徒がどのようにしてヨム・キプールを過ごしているのか、詳しくはこちらのユーチューブ動画が参考になります。イスラエルに来て、ユダヤ教がちょっと身近なものになって初めて、こんな祝日やユダヤ教徒の過ごし方があることを知った私です…。
ニワトリを頭上で振り回す!?エキセントリックな伝統、「Kaparot(カパロット) Ceremony=贖罪の儀式」
上記サイトの「ヨム・キプールの準備ガイド」のページに、「Kaparot(カパロット)」という儀式について書かれています。気になって読み進めてみると、これは正統派ユダヤ教徒が行う、ニワトリを用いた「贖罪の儀式」のことでした。ロシュ・ハシャナーからヨム・キプールの間、ベストタイミングはヨム・キプール前日の夜明けに行う儀式だそうです。
カパロットとは?
タルムード後期から、ヨム・キプールに備えてカパロットを行うのはユダヤ教の一般的な習慣です。カパロット(kapparot または kaporos とも綴られます)は文字通り「贖罪」を意味し、ヨム・キプールが「贖罪の日」を意味するのと同じです。カパロットは、適切なテキストを暗唱しながら、慎重に(以下の手順を参照)鶏を頭の上に3回通すことです。その後、鶏はカシュルートの法に従って人道的に屠殺されます。鶏自体は、イェシーバーや孤児院などの慈善団体に慎重に寄付され、他の鶏と同じように食べられます。または、鶏を販売してその価値を寄付します。
私たちは、新年に厳しい命令を受ける運命にあるのであれば、この慈善のミツワーの功績により、その命令がこの鶏に移されるよう神に祈ります。
鶏が手に入らない場合は、聖なる神殿で犠牲として捧げられた鳩以外の、ユダヤ教の規定に従った鳥ならどれでも使用できます。生きたユダヤ教の魚を使用する人もいれば、儀式全体をお金で行い、そのお金、少なくとも鶏1羽分の価値を慈善団体に寄付する人もいます。
鶏は供物ではないことを心に留めておくことが重要です。儀式を行うだけでは罪が償われるわけではありません。しかし、儀式は人を少し揺さぶります。
これは、食卓に並べるために動物が屠殺されるのを目の当たりにすることがほとんどない今日では特に当てはまります。鶏を手に取り、それが屠殺されるのを見て、「神の恩寵がなければ私も同じだった」と熟考することは、ヨム・キプールの日を迎える際の態度に大きな影響を与える可能性があります。
また、神の世界における私たちの特権的な立場について貴重な視点を提供します。動物は私たちが生きるために生き、死んだのです。人間だけができることとして、利他的に、正直に、敬虔に、そして賢く生きることが私たちには求められています。
参照サイト:
要するに、ニワトリに自分の贖罪が移って(身代わり)自分が神に許されるための儀式です。この儀式を行っている場所は、エルサレムの一部地区などかなり限られているようです。文章からだとあまり想像ができないので、動画を探してみたら、ありました。
なかなか、見たことのない世界観です…。
こちらはニューヨークのユダヤ人コミュニティでのカポロット。※だいぶ残酷なシーンもあるので、閲覧注意です。
こちらの動画にあるように、振り回したあとの鶏は、首を切り落とされて、血抜きされます。ユダヤ人が口にする食べ物(コーシャフード)も、法に則って血抜きされた動物を食べることになっているので、ユダヤ教にとってはごく普通のことなのかもしれません。さらに血を抜く=罪の意識を抜く、という意味合いもあるようですが、宗教的理由があるとはいえ、動物虐待と捉えかねられないこの儀式ゆえ、批判も多いようです。この動画の中でも触れられていますが、業者がカンピロバクターに感染する確率も高いし、鶏同士で病気を移し合って蔓延していく危険性も高く、衛生面的にどうなの?という疑問はごもっともです。儀式の説明(上記)には、鶏は慈善団体に寄付されると書いてありますが、実際のところはそのまま斬首して捨てられているシーンが写っています…。そこらじゅうが鶏の血の海になっている光景は、想像するだけでもおぞましいです。こういった行為を批判するのは簡単ですが、これが伝統で、大切にしている集団もいる、ということを心の片隅にとどめておきたいなと思います。
ちなみに、鶏を使用する理由ですが、諸説あるようです。
- アラム語では、雄鶏はゲヴェルと呼ばれる。ヘブライ語では、ゲヴェルは男性である。したがって、ゲヴェルを償うためにゲヴェルを取る。
- 鶏はよく見られる鳥で、比較的安価である。
- 鶏は聖なる神殿で犠牲として捧げられる資格のある種ではない。これにより、誰かが誤ってカパロットを捧げ物と結論付ける可能性が排除される。
「もしあなたの罪が紅のようであれば、それは雪のように白くなる」という一節(イザヤ書 1:18)を思い起こさせるため、白い鶏を使うのが通例である。いずれにしても、黒は神の厳しさと規律を表す色であるため、黒い鶏を使うべきではない。また、明らかに傷のある鶏を使うべきでもない。
鶏、わりと残酷な仕打ちを受けているように感じますが、神聖でないがゆえ神へのお供え物として使っているのではない!という理屈があるようです。他の鳥より下に見ている感じがあふれているような…。世の中にはまだまだ知らないことだらけだなぁという気持ちです。
ヨム・キプールのメインイベントは、「断食」
カポロットは、おそらく一部の超正統派が実践している儀式だと思いますが、けっこう世俗派も多いイスラエル(特にテルアビブ)。それでも、多くのユダヤ人は断食という戒律は守ろうとするようです。
ヨム・キプールQ&Aのページに、「コーヒー中毒なのですが、どうしたら断食を乗り越えられますか?」という相談が載っていました。わかりますよ、私もカフェイン大好きなので!真剣な悩みなのでしょうが、ちょっと笑ってしまいました!そもそも、「魂を苦しめる」ことが目的だから頑張れ!みたいな回答も、気合を感じます。
ヨム・キプール明けの最初の食事は、「ハリラスープ」というモロッコ料理や、チキンスープヌードルを食べる習慣もあるそうです。断食のあとなので、胃に優しい食事を!とのことでしょう。
静寂に包まれる街でのお楽しみ=道路を自転車で爆走!!!
ヨム・キプール期間は一切の労働が禁止ですので、自家用車に乗らないのはもちろん、交通機関も全て停止、外はとーっても静か。そんな街中に繰り出して遊ぶのが、主に子どもたちにはお楽しみな時期でもあります。なぜなら、全く車が走っていない道路(高速道路含む)を自転車で乗り回せる機会でもあるからです!
私も家族と一緒に、高速道路まで行ってみました!
普段、大渋滞でクラクション鳴らしまくりのAyalon Highwayをはじめ、どこもかしこも本当に静か。テロ警戒なのか巡回しているパトカーや警察車両はたくさん見かけましたが、こだましているのは、全力で爆走している子どもたちの声。子どもだけで遊んでいるグループも多くて、本当に平穏なひと時です。いつもとは全く違うテルアビブの夜、神聖で特別なものに感じました。こんなふうに外で子どもたちが安心して過ごせる時間が長く続いてほしいと願う、そんなヨム・キプールです。
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