PR

【芸術の国・イスラエル】大人気!『バットシェバ舞踊団』コンテンポラリーダンスを鑑賞!

※当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

【芸術の国・イスラエル】大人気!『バットシェバ舞踊団』コンテンポラリーダンスを鑑賞! テルアビブ日常生活

シャローム、a-box-of-chocolateです。10月下旬のイスラエル、朝夕はヒヤッとした空気が流れ込むようになり、涼しいなぁと感じるようになりました。昼間はまだ25℃ありますので、Tシャツ一枚で快適です。毎日カラッとした晴天続きですが、季節がうつろいでいるのを感じます。

このところのイスラエルはと言いますと。ハマス最高指導者のシンワル氏の排除に成功、人々は小躍りするほど喜ばしいスコット期間が続いています。文字通り「お祭り騒ぎ」です。一方、ネタニヤフ首相の個人邸宅がドローンで狙われたり、今朝はテルアビブにもレバノンからロケットが飛んできたりと、穏かではない状況が続き、双方の攻撃は収まる気配がありません…。状況が好転する日は来るのでしょうか。

そんなイスラエル情勢ではありますが、テルアビブでの人々の生活はいたって普通、通常運転です。そしてブログでは極力、明るくハッピーなイスラエルの要素をお伝えしたい!と思っています。本日取り上げるのは、『コンテンポラリーダンス』『バットシェバ舞踊団』、みなさんはご存じですか?

モダンカルチャーを牽引するテルアビブ拠点のダンスカンパニー。世界的に有名な『バットシェバ舞踊団』に注目!

最初に断っておきますが。テーマに取り上げているものの、お恥ずかしながら私はこちらのダンスカンパニーのことを知りませんでした。何で知ったか?というと、「地球の歩き方」です。イスラエルでコンテンポラリーダンスが盛んなことも、有名なダンスカンパニーがあることも、何も知らず…。でも、せっかくその土地に来たのだから知りたい、見てみたい!という興味本位です。これも駐在生活の醍醐味ですから!

『バットシェバ舞踊団』の歴史 – ユダヤ人大富豪・ロスチャイルド家が設立に尽力!

バットシェバ舞踊団は、1964年にベサビー・デ・ロスチャイルド女史(イスラエルに移住後バットシェバと改名)によってレパートリーカンパニー(興行のため様々な演目をこなす劇団)として設立されました。ロスチャイルド家はフランスで銀行を経営する大富豪で、要するに自分がパトロンとなって、このダンスカンパニーを設立・運営していたということです。名家出身でお嬢様育ちのデ・ロスチャイルド女史ですが、自らダンスを学んで舞台に立つなど、その情熱は本物だったようです。

バッドシェバ・デ・ロスチャイルド女史
  • 1914
    ロンドン生まれ、パリ育ち

    名家・ロスチャイルド家に生まれる。父親を含め親族は銀行経営

  • 1941
    ニューヨーク移住

    戦後、マーサ・グラハム(ダンサー)に師事してダンスを学び始め、彼女のカンパニーのパトロンとなる。

  • 1956
    マーサ・グラハム・カンパニーの東アジアツアーに参加

    このツアーはイランで終了する予定だったはずが、デ・ロスチャイルドの支援により、イスラエルでの公演も含まれることに。これはカンパニーのイスラエルでの初公演であり、イスラエルのダンス文化にとっても大きな転換点となった。

  • 同年
    イスラエルに移住

    バットシェバ・デ・ロスチャイルド芸術科学財団を設立。イスラエル音楽の録音や文学作品のヘブライ語翻訳を後援することで、イスラエル文化の発展にも尽力。マーサ・グラハム・カンパニーと振付師アントニー・テューダーの芸術監督のもと、イスラエルでダンスコースを組織。

  • 1964
    バットシェバ舞踊団を設立

    芸術顧問にマーサ・グラハムを任命、女史自身は最初の11年間、カンパニーのCEO兼パトロンを務めた。

  • 1968
    バット・ドール・ダンススクールを設立

    ジャネット・オードマンの経営のもとバット・ドール・ダンススクールを設立し、その後バット・ドール・カンパニーを設立。

  • 1975
    バットシェバ舞踊団の支援中止

    2 つのカンパニーを統合する計画が失敗に終わった後、彼女はバットシェバ舞踊団への支援を中止。

  • 1989
    イスラエル賞受賞

    生涯にわたる功績を称えられ、同国最高の栄誉ある賞を受賞。社会と国への独自の貢献が認められた。

  • 1999
    逝去

マーサ・グラハムさんという方も、偉大なるダンサーです。「20世紀を代表するダンサー」と言われるほどの舞踊家と組んで設立した、バットシェバ舞踊団。名実ともに由緒あるダンスカンパニーに成長していきました。

バットシェバ舞踊団のレジェンド。文字通り、成功の『立役者』となったオハッド・ナハリン氏

1974年、22歳の時から、自らも団員として活躍してきたオハッド・ナハリン氏は、同カンパニーの専属振付師。1990年、ナハリン氏はバットシェバ舞踊団の芸術監督に任命され、同年、同団のジュニア部門であるバットシェバ・ヤング・アンサンブルを設立しました。以来、両団で30以上の作品を制作しています。バットシェバを率いて30年近く経った後、ナハリン氏は2018年に芸術監督を退任し、引き続き同団のハウス振付師を務めています。彼も、デ・ロスチャイルド女史と同様に2005年にイスラエル賞を受賞しています。

ナハリン氏が編み出した【Gaga】という独自のメソッドを取り入れ、練習に励むダンサーたち。【Gaga】とは、『感覚と想像力を高め、形を自覚し、新しい動きの習慣を見つけ、慣れ親しんだ限界を超えることに関する研究』に基づいた革新的なムーブメント・ランゲージ、だそうです。コンテンポラリーダンスの世界観が難しすぎて、それが何を意味するのか私はあまりよく理解できていませんが…『バットシェバ舞踊団』に少しでも興味を持った方、ぜひ公式ユーチューブ動画をご覧ください。

check! https://www.youtube.com/@batshevadancecompany

ちなみにナハリン氏の奥様は日本人女性だそう。死別された前妻も、現在の配偶者の方も日本人。日本にもゆかりが深いのか、(私は残念ながら知らなかったのですが)日本公演も行っているそうです!

【公演中止】オハッド・ナハリン/バットシェバ舞踊団『MOMO』

こちらの埼玉公演(2024年1月予定)も、残念ながら戦争の影響で中止になってしまったようですが…。なんと!私が今回足を運んだ公演は、埼玉で上演予定だった『MOMO』という作品でした!

バットシェバ舞踊団の拠点シアター、『スザンヌ・デラル・センター』へ!

ネヴ・ツェデクというオシャレな店が集まるエリアにある、「スザンヌ・デラル・センター」。この劇場の敷地内にバッドシェバカンパニーもあります。

スザンヌ・デラル・センター
スザンヌ・デラル・センター
ユニークな形。センターの裏側
複数のホール&スタジオが敷地内にある
クリーム色の可愛らしい外見
中庭
バットシェバカンパニー
パッと見、ダンスシアターなのかよくわからない。公演会場がわからずさまよいました…
中庭からの眺望

オハッド・ナハリン氏の振り付け、『MOMO』を鑑賞する

『バットシェバ舞踊団』初観劇に、なぜこの作品を選んだのか?という深い理由は全くなく、偶然ホームページで見かけて、日程的にも都合がよかったから行ってみた、という非常にミーハーな理由です…。私はダンスへの造詣も深くなく(というかゼロ)、上記の作品紹介だけを読んで、ふ~ん、という曖昧な解釈のまま会場へ。魂のぶつかり合いがストーリーの根底にあることだけ理解しました。

【日本語訳】MOMO には 2つの魂があります。1つは地の奥深くまで長い根を張り、強靭で生々しい、男らしさの原型と神話を体現する魂です。もう1つは、個性的で独特な DNA を絶えず探し求めています。1つは自律的で独立して動き、もう1つは同じ核の周りを回る要素の集合体です。交互に核から離れたり近づいたりしながら、必要な優しさとカタルシスのためのスペースを作ります。

ポスター

公演に遅れたら中に入れない、とのチケットの記載を守り、開場30分前くらいにはセンターに着いたのですが、、開場待ちの列らしきものもなく、あちこちウロウロしていました。

シアター入口前にあったポップ

開場まであと10分、という時間になると、突然シアター入口前がにぎわい出し、カフェに並んでいる人々の行列が…!今から買って飲んでたら、開演に間に合わなくない?と思ったとおり、時間には始まりませんでしたが(笑)。開場待ちの間、イスラエル人から突然、「今日は暑いですね~」と日本語で話しかけられて(仕事で日本に長くいたことがあるらしい)、「バットシェバは日本でもすごい人気ですよね!」と…!「あ~そうですね、日本人のダンサーさんもいるみたいですね」と適当に相槌を打つことしかできなかった私が情けなかったです…。

二階バルコニー席からでも、よく見える&音響バッチリ!生まれて初めて鑑賞したコンテンポラリーダンスの感想。

スザンヌ・デラル・センターは、わりとこぢんまりとしたシアターホールでした。収容人数は366席。チケット代も安くはないので、二階バルコニー(130NIS、約5,200円)にしました。

【出典】https://suzannedellal.org.il/en/rental/?doing_wp_cron=1729604970.3027811050415039062500

公演は午後二時から。時間になっても暗転することもなく、まだ入場している人もいるし、いつ始まるのかな~?と思っていると…。なんのアナウンスもなく、唐突にダンサーさんたちがステージに出てきていて、いきなり始まっていてビックリしました。

そこから70分、ノンストップ。初めて見たコンテンポラリーダンス。何を表現しているのか理解できないところも多かったのですが、私の魂が吸われそうなるほど、力強い演技でした舞台がとても近く、出演者の息遣いまで聞こえるし、公演の後半になると汗が光っているのもハッキリと見えました。人間の身体って、そんな風に折れ曲がったりしなやかに動かせるの??と驚嘆するほど、流れるような動きでした。地面を這いつくばったり、壁を登ったり、バレエのバーを使ったり、劇場の特性や小道具を生かした演出も、鬼気迫るものを感じました。

クライマックスに近づくにつれ、ダンサーさんたち、このまま燃え尽きて灰になってしまうのでは?とハラハラするほど、彼らの生命力を強く感じました。『MOMO』のコンセプトである二つの魂の絡み合い、なんとなくわかった気がしました。目の前にいるダンサーさんたちは、私と同じ肉体の持ち主なのか?と疑うほど身体の使い方が独特で、人間という枠組みを超えてしまうのでは?というほどの激しい動きでした。【Gaga】というムーブメント(限界突破)ってこれのことなのかな?と、朧気ながらも感じました。とにかく圧倒されているうちに、あっという間に時間が過ぎていきました。

コンテンポラリーダンス=自由で、枠組みのない身体表現

コンテンポラリーダンスというジャンルは、私にはとても遠い存在で、抽象的で理解が難しい踊りだなと感じていました。ヒップホップ、バレエのように、明確なストーリーや音楽の枠組みがあるほうが「わかりやすい」動きですし、鑑賞する方も世界観に入りやすい印象です。そういう点では、コンテンポラリーダンスには「わかりやすさ」はあまりないものの、見ている人の解釈にゆだねられる部分も大きいので、ダンサーが訴えかけてくるものを必死に受け止めようとする観劇を体験することができました。これはとっても斬新で、衝撃的でした。

私の中でとても印象に残っているのは、森山未來さんが出演していた東京オリンピックの開会式。神秘的で不思議な世界観を持ったダンスでしたが、あれがまさに「コンテンポラリー」。(森山未來さんは、2013年にイスラエルにて一年間ダンス留学されていたそうです!)

コンテンポラリー(contemporary)の意味は、「現代的な」「今風の」。時代の最先端を行くダンスを、トップダンサーたちが披露する公演を、こんなに近所で気軽に鑑賞できるチャンスなんて、もう一生ないかも!そう思って、実は12月に行われる別の公演のチケットも購入済みです(笑)。クリエイティブなセンスは皆無、体育の授業でやったダンスですら苦手な私ですが、芸術鑑賞は大好きです。テルアビブにはバットシェバ以外にも多くのダンスカンパニーがあるようなので、機会があればぜひ観劇に行ってみたいと思います。

お知らせ

筆者
筆者

このたび、ブログに連動したInstagramを開設しました!ページ下部にインスタフィードを貼ってありますので、ぜひご覧ください。フォローもよろしくお願いします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました