【イスラエル駐在生活3年目】駐在妻、現地語(ヘブライ語)習得を完全放棄。

こんにちは、a-box-of-chocolateです。2024年4月からイスラエルで駐在生活を始めて、丸2年以上が経過しました。あっという間に3年目に突入しました…が。

夫よ…もうそろそろ…別の国に異動にならないかなぁ…と心の中で願い始めている自分がいます…
この2年、心のどこかで常にさざ波が立つような生活が続いているのですが、決定打はやはり、今年の2月末から始まったイラン戦争です。日々の物価の高さに四苦八苦し、常に先行き不安定な情勢、予定が予定として成立しない生活。頭打ちな毎日にうんざりしてしまったというのが正直な感想です。
とは言え、5月になってからは週3のハイペースでビーチに繰り出しています。地中海沿岸生活エンジョイモードなのですが。イスラエル生活で「うわ~最高だ!!」と思える瞬間は、気候とビーチが美しいこと、その2点に集約される(というかそれ以外あるかな?)という境地に達してしまいました(無礼講)。

海が生活の一部になっているイスラエル生活。こんなに奇麗な海なら、毎日眺めに来てしまうのもわかるー!というほど魅力的です。

こちらはカイザリア。砂浜のビーチはサラサラで、風もべたつかないし、無料シャワーも完備。日差しは強いけど汗はかかない、最高の季節です。

テルアビブに住んでいても徒歩で地中海に行けるし、車を30分走らせればどこのビーチにもアクセスできて、これ以上ない贅沢な環境である―優雅な時間の使い方ができる今の生活がとても恵まれていることは、頭ではわかってはいるのです。日々、イスラエルの現状にモヤモヤする一方で、美しい自然に癒されているのも事実です。
そして、このブログでも何度も紹介しているように、住めば都の精神でテルアビブの生活は気に入っているのですが、自分の状況をもっと俯瞰してみると、やはりイスラエル生活はハードだな…という結論です。
冒頭からネガティブ発言の連続ですが、このモヤモヤした気持ちが、現地語習得のモチベーション維持を放棄したことに直結しているのは言うまでもありません。ヘブライ語、けっこう頑張って覚えようとしていた初心よ、どこへ行った!?
本日は駐在妻生活3年目を迎えてぶち当たった、「現地語習得問題」について綴ります。
目次
結局は「英語ができれば生きていける」という安心感。駐在妻にとって、マイナー言語の習得は必要?!
駐在生活および海外生活において「言語の壁」とは非常に高く険しいものです。約1年の留学生生活、そしてトータル5年間の海外駐在生活を経験した私は、現地語を話せることの重要性を痛いほど理解しています。
それなりに海外生活経験もあるのですが「英語が第一言語の国」に住んでいる経験が圧倒的な私。英語以外が母国語の国で暮らすのは、実はイスラエルが初めてです。
日本にいると、正直なところ英語ができなくても生きていけるので、学習意欲を高めるのも、努力を継続するのも難しいですよね。学校では習うけれど実社会では使わない。そんな人もいまだに多いかと思います。まさに私は今、中学生みたいな意欲関心態度の低さを以てして、「ヘブライ語って勉強する意味ある?」と不貞腐れモードに入ってしまったのです。
【検証】現代ヘブライ語はマイナー言語なのか?
はじめに。少数言語(minority language)の定義は、Wikipediaによると、
国際法における定義
ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章によると
地方言語・少数言語とは
- その国の人口の残りよりも人口が少ないグループによってその国の特定の場所で伝統的に用いられており、
- その国の公用語と異なるもの。
を指す。
とあります。この定義に照らし合わせると、ヘブライ語(Modern Hebrew)はイスラエル国の公用語なので、マイナー言語ではない、というくくりにはなるのですが、話者の数でいうと1000万人。このうち、ヘブライ語ネイティブ話者(イスラエル生まれのユダヤ人)は650万人。他国からの移民、アラブ系住民(アラビア語ネイティブ)もいるので、生まれながらにしてヘブライ語で育っている人だけに焦点を当てると、わりと少ない?というのが私の体感です。

ネイティブ人口の観点からすると、千葉県だけ、または埼玉県だけで話されている特別な言語があったとして、それを学ぶ意味とは…?と我に返ってしまうような感覚です。でもそれが公用語で、ずっとそこに住むならば学ぶ必要はあるかも…?
イスラエル生まれのユダヤ人(本物のネイティブ)ですら、「ヘブライ語はイスラエルの外に出たら使わないよ」と助言してくるので(笑)、スペイン語やフランス語のように、その言語が流暢に操れたら生活が便利になる、という経験はイスラエルの中でしか生まれないのです…。
ちなみに、現代ヘブライ語とは19世紀末から20世紀初頭に「日常言語」として復活した言葉で、古いヘブライ語(聖書の中の言葉)は「聖書ヘブライ語」とは区別されています。
駐妻がヘブライ語を学ぶべき理由① 値切り交渉が出来たら最高!
言語の流用性や汎用性の高さだけで考えると、ヘブライ語を学ぶよりは英語を頑張った方が圧倒的に有効です(断言)。日常会話ペラペラ!という程度までに言語を身につけるための時間とお金の投資のリターンとして、「値切り交渉ができたらいいな…」なんて目標はだいぶ低いように感じられますが、あくまで【駐妻目線】で言うとヘブライ語が操れたら…という場面は圧倒的に買い物です!
スーパーマーケットのレジでは、本当に必要最小限の言葉しか交わしません。セルフレジのお店も多いので、極論、一言も発さなくても買い物が可能です。「モアドン(会員証)」「アシュライ(クレジット払い)」「サキオット(ビニール袋)」の3単語がわかれば生きていけます。(笑)
しかし、マーケットでの買い物が主流のイスラエル。八百屋、魚屋、パン屋のように、それぞれ独立店舗で目的の物を買う(キロ単位の値札しかない)方が安いし、新鮮な食材が手に入ります。
以下、カルメルマーケットにて。

パン屋さんのパン、美味しいのですがね…会計するまでいくらか分からないのが地味にストレスなんですよね…。値札がないので店員さんに聞くしかないのですが(カマゼオレ?)、ヘブライ語で返されて、「は?」ってなるだけなので、もはや言われた値段を払っていますが、それが合ってるのかどうかも、確かめようがないのです!!

なんなら、会計前に商品を食べてるのもよく目にする光景です。量り売りが基本なので、オリーブやドライフルーツはもちろん、ミニトマト、きゅうり、いちご、バナナなどのフルーツもその場で食べてから買う(または買わない)。そのお代は払っているのか?それとも、試食ということでサービスなのか?チキンハートの日本人(私)は一度もやったことがありません。
第二のトラップが、手書きの値札。ヘブライ語は、いわゆるブロック体と筆記体があるのですが、筆記体はグーグルレンズで読み込んでも翻訳できないのです!

商品名も値段もわからないものを買う…産地も名称も味も価格も、何も分からないまま買って食べてるものばかりですが、意外となんとかなってますし、健康に生きています(笑)。無添加!国産!などこだわりの食事方法がある方には辛いかもしれません。

もはや値段表示すらない店もマーケットにはたくさんあります。買い物のハードルが高すぎて、確実に値段表示される(が、店員が正しい商品名を登録しているかすら確認できない)スーパーのほうがまだマシです。

魚屋も、たとえばこのお刺身、レジで計量して初めて「1パックいくらかが分かる」会計システムなので…もはや値段を気にせずに買い、レジで言われた金額を払うのが普通です。ここでヘブライ語が堪能だったら、「それじゃ多すぎるから減らして」とか、「もう少し買うからおまけして」とか、値切り交渉ができるのになぁ!と思うのです。もはや英語でも値切るのはアリだと思うのですが、①なぜか弱気な私 ②相手が英語がわかっていない ③コミュニケーション諦めがち。その結果、言い値で買う。 もしかしたら損してるかも?と思う日々です…。
誤解のないように言っておきますが、たいていの店員さんは、「〇〇個買うと△△シェケルになるけど、どう?」というオファーを会計時に添えてくれます。ヘブライ語で。たとえばこんな感じです。

“shtaim….△✕:@★…. Shalosh be esre!”

Shalosh… 3…? Ah… sorry, I don’t speak Hebrew.

Ok, so this bread, when you buy 2, it’s 8 shekels. But when you buy 3, it’s 10. Do you want one more? I will charge for 3, so please take one more.
よく行くパン屋さんのバイト青年の早口ヘブライ語は全然聞き取れず、Shalosh(3)だけ分かっても会話が進まない(笑)。2年住んでもこの程度のヘブライ語で生きているのですが、「あ~、この人ヘブライ語わかってないな」と悟った瞬間、英語に切り替えてくれる人が大半。イスラエル人、すごすぎる。
駐妻がヘブライ語を学ぶべき理由② 現地コミュニティに溶け込む努力は無駄ではない!
私はイスラエルに来てすぐ、何を血迷ったかウルパンに申し込み、 ℵ(アレフ、一番最初のビギナークラス)だけはやり遂げてドロップアウトしたわけですが…他国のいわゆる「駐妻」でも、熱心にウルパンに通ってヘブライ語を学んでいる、という人にも出くわします。
まず第一に、暇な時間を語学習得に充てることは非常に理にかなっているのです。現地での仕事、またはリモートで在住国の仕事を続けているなどの事情がない限り、一人で家にいる時間に何をするか?というのは大問題。
私もイスラエルに来た直後は、知り合いもいないし、言葉もわからないし、語学学校に通えば定期的に人に会える&地元コミュニティに所属できるから一石二鳥!と思っていました。
そもそも、「言葉を学びたい」という欲求は、知的好奇心を満たすには最適ですし、住んだことがない国に住むうえで、地元の言葉がわかると、一気に「帰属意識」が増します。
私は見た目が完全に「外国人(アジア人)」なので、いまだに観光客に間違われることも多いですし、日本人だというだけでものすごい会話が弾む状況に何度も出くわしました。
そこで英語ではなくてヘブライ語でコミュニケーション取れたら会話のきっかけにもなるのだろうなぁと、いつも思います。”Ani mi Yapan!”(I’m from Japan)を連呼するだけで盛り上がります。(笑)
私がこの2年できちんと覚えた&実践的に使えるヘブライ語は、”ani rotza cafe car im chalav” (I want a cold coffee with milk)程度の定型文だけ、というポンコツっぷりですが、「え~すごい!ヘブライ語でコーヒー頼めてるじゃん!」と面白がってくれた店員さんが、おまけでクッキーくれたり…そんなイスラエル人の陽気さに触れることもできるのです。
そもそもヘブライ語を学びたいと思ったきっかけは、言語を通して人々の考えや文化を理解したいと思ったから。そういう意味では、少しは達成できた…と思います。
駐妻がヘブライ語を学ぶべき(学ばなくてもよい)理由③ 郷に入っては郷に従え!
テルアビブに住んでいると、体感8~9割近い人が英語が堪能なので(少なくともコミュニケーション取れるレベルに話せる)、ヘブライ語ができない私に対してどうのこうの、というのは一切ありません。
少なくとも、日常生活や日常的な会話の場面において、語学のレベルで蔑まれることはないです。「あ~、この客はヘブライ語できないな」と放置(無視)されることはありますが、それはそれでありです。
居住歴が長いイスラエル人でさえ、移民世代はヘブライ語が苦手という人が一定数います。そういう人はマルチリンガルなので、ユダヤ人としてイスラエルに来たから(アリヤー)ヘブライ語を学ぶ、という順を辿る人も大勢います。私はネイティブ・ノンネイティブのヘブライ語を聞き分けられるほどの領域に達していませんが、自国民でさえもイスラエルという国に住んでいるからヘブライ語を習得することにする、という発想自体が面白いなと思います。
母国語(家庭言語)はフランス語、学校教育(現地校)はヘブライ語、仕事で使うから英語も学んで堪能。たとえばこういう「3〜4か国語を操れる」イスラエル人もたくさんいます。
要するに、ヘブライ語を自分のアイデンティティに関わるものとして身につけている(と思われる)人も一定数いるため、数年間駐在するだけの「外国人居住者」は、ヘブライ語に一切触れずとも生活可能です。
ちなみに私の家族で、ヘブライ語に躍起になっていたのは私だけ。夫も子どももヘブライ語学習0秒、興味もゼロ、それでも普通に暮らせています。
学ぶも学ばないも、どちらも許容されるのがイスラエル。「郷に入っては郷に従え」とは、ローカル言語をマスターしろという意味ではなく、英語だけで暮らせる生活環境に馴染んでいけば、それで全然事足りる側面もあるよ、ということをお伝えしたいです。
私自身はともかく、子どもは完全に英語で生活をしているため、ますますヘブライ語が隅へ隅へと追いやられていく日常です。自分の子どもが現地校(ヘブライ語の学校)に通っている場合や、自身がユダヤ教徒である場合などはヘブライ語を理解する必要性が高いでしょうが、そうでないオプションも完全に用意されているのがイスラエル。
学ぶも自由、学ばないも自由!どちらも正解なのです!
ヘブライ語習得あれこれの話はこちら↓

現地に馴染もうとしていたころの私。本当にまじめに勉強したのですよ…。久しぶりにノートを開いてみてびっくり、何も覚えてないです(笑)!!!

すでにアンインストール済みのデュオリンゴですが、新出単語をノートにもメモって、意味も調べて、用法や動詞の活用も理解しようと努力しました。日付が5月6日となっていますが、2025年です(笑)。この単元では、「アクセサリーを身につける」「手袋をはめる」「靴下を履く」「ベルトをしめる」「めがねをかける」等の表現をやっていたのですが、全部put onで済ませられる英語って超簡単じゃん!!!と思ったものです。こうやって書き出してみると、日本語で使う動詞も全部違いますね。ヘブライ語にイライラしてしょうがなかったのですが(八つ当たり)、日本語もまた表現の幅が広くて複雑だなと痛感します。
ウルパン(苦痛の極み)に通ったおかげで、ヘブライ語の筆記体も(見よう見まねで)書けるようになった私。披露する場所も使うところもないのですが、街中の手書き文字を読み取る(推測する)ときの知識のベースになっています。未知の言語だった「ヘブライ語」、とりあえず「学んでみる」「知ってみる」という好奇心を満たしてくれたという意味でも、言葉を知ることができてよかったと思います。ほぼ身についていませんが!!
優秀なイスラエル人のおかげで、ヘブライ語を諦めた末路。
2024年~2025年の一年間はヘブライ語習得熱が一番高く、ウルパンからスタートして、international clubのフリーレッスン受講(週1)、デュオリンゴ、Hebrew 101での自主学習とインテンシブに、かつ継続的に単語やフレーズを覚えていきました。
しかし、ところどころで一時帰国をしたり、戦争が起きたり、現実逃避して日本語漬けになってみたりと「ヘブライ語やってる場合じゃない事態」や「ヘブライ語なんて全然必要ない環境」に浸っているうちに、だんだんと面倒くさい気持ちに打ち勝つことができず、モチベーション維持に失敗。
ヘブライ語を実践的に使う場面はいくらでもあるのですが、いざ街中に繰り出しても口をついてヘブライ語が出てくるレベルには一切ならず。そんなに根気よく外国人のヘブライ語に付き合ってくれる店員もおらず。英語に切り替えてぱぱっと会計。そうこうしているうちに、イスラエルに住んでいるのにヘブライ語不要じゃん?というダークサイドに完落ちました(笑)。
これが日本だったら、どうでしょう。
ほとんど日本語ができない外国人がレジに来て、てきぱきと英語で接客・説明してくれる日本人って、どのくらいいるのでしょう。
グーグルレンズを使って商品検索している外国人がそばにいて、親切にも英語で声をかけて、商品説明をして助けてくれる日本人って、どのくらいいるでしょう。
ところ変われば必要となる言語能力も変わります。ヘブライ語の初歩の初歩しか分からない程度の私でも日常生活は問題なく送れているし、快く英語にスイッチして話してくれるイスラエル人もたくさんいるので、その親切心と能力の高さに甘えて、ここまで来てしまったという感じです。
そして冒頭でも書いた通り、「私、イスラエルにはもうこれ以上長く住むことはないかもしれないな(願望)」という気持ちが見え隠れする今、必死に新しい言語を学ぶ意欲がなくなってしまったわけです。
一度この沼にハマると、這い上がるのは至難の業…!私のヘブライ語習得への道(意欲)は閉ざされたまま、再度向上心を持てる日が来るのかすら怪しいです。
ヘブライ語に限らず、駐在先の国の言葉を学び、習得するという道のりは決して簡単なものではありません。言語習得自体が目的になってしまうと、その言語を理解できない苦しみの方が大きくなり、諦めがちです(私の実体験)。その先に「さらに大きなゴール(就職、学業、結婚等)」があったり、「言葉ができないことでの困り感」の方が強くて、その言語がわからないせいで日常生活が困難であったら、私ももっと必死になっていたと思います。
一方で、「たかが数年の短期滞在!」と割り切って、AIやテクノロジーに頼って生活するのも全然ありです。翻訳ツールもどんどん機能が向上していますから、コミュニケーションをスムーズにするために技術を活用するのは最も有効な方法です!
それでもやはり「現地語が少しでもわかる」「挨拶くらいはできる」ほうが、自分の生活が楽になるし、会話のきっかけにもなります。結局は、言語はコミュニケーションツールの一つに過ぎない、というのを最大限に感じるのも、ヘブライ語を(少しでも習得しようと)学習してみたからこそ分かったことです。異文化交流、異文化理解のためにも、教養程度に現地語に触れてみると、駐在生活がちょっと楽しくなります♪

