【2026年4月22日☆イスラエル独立記念日】戦争中でも祝福ムード!78回目のイスラエル独立記念日について

こんにちは、a-box-of-chocolateです。イラン戦争開始から、まもなく2ヶ月。アメリカ・イランの停戦合意は当初、4月8日から2週間、22日までとされていましたが、とりあえず5日程度は延期される見込みとなりました。

私は思ったのです、”4月22日””までは安全がある程度保証されるという見込みは、もしかして最初から【独立記念日のお祝い】を盛大に取り仕切るために設定した日付だったのではないか?と!そのくらい、タイミングばっちりだったような?(素人の邪推です)

エルサレム市内も国旗だらけで、大いなる祝賀ムードでした。(4/19撮影)

嘆きの壁の前でも、セレモニー準備が進んでいました。

イスラエル国内中、あちこちが国旗であふれています。

昨年の独立記念日(77回目)は、セレモニーや集会は全て中止だったのです。直前にエルサレムの山林で大規模な山火事が発生し、高速道路や主要幹線道路が封鎖される事態に。火が消え切っていない状態だったこともあり、全国的にイベント中止勧告が出ました。

リハーサル動画を視聴した独立記念日の行事から、約一年。2026年の独立記念日は戦争真っ只中という…。毎年、次から次へと何かが起きるものです。This is イスラエル!という感じがします。

山火事では自粛していたのに戦争による自粛は特になく(ホームフロントコマンドによる集会の人数制限があった程度)、今年は去年のリベンジ!と言わんばかりに各地で祝賀行事が執り行われていました。今回の記事では、2026年のイスラエル独立記念日についてまとめます。

なぜ毎年違うの?イスラエルの独立記念日の日付がコロコロ変わる理由

世界中の多くの国には「独立記念日」があり、例えばアメリカなら毎年「7月4日」と決まっています。しかし、イスラエルの独立記念日(ヨム・ハアツマウート/ Yom Ha’atzmaut –  (Hebrew: יוֹם הָעַצְמָאוּת,)は、毎年日付が変わるという不思議な特徴を持っています。ある年は4月中旬、またある年は5月上旬……。一体なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。

理由1:基準にしているのが「ユダヤ暦」だから

イスラエルが祝日を定める際に、私たちが普段使っているカレンダー(グレゴリオ暦)ではなく、独自の「ユダヤ暦」を使っています。

イスラエルが建国を宣言したのは、1948年5月14日でした。これをユダヤ暦に換算すると「イヤール月の5日」になります。

  • グレゴリオ暦(太陽暦): 太陽の動きを基準にしており、1年は約365日。
  • ユダヤ暦(太陰太陽暦): 月の満ち欠けを基準にしており、1年は約354日(ズレを調整するために「閏月(うるうづき)」を入れる年もある)。

基準となる日数が違うため、ユダヤ暦の「イヤール月5日」を、世界共通カレンダー(グレゴリオ暦)に当てはめると、毎年日付がズレてしまうのです。これが、毎年4月中旬から5月上旬の間で日付が変動する一番の理由です。

理由2:「安息日(シャバット)」と被らないようにずらすから

「なるほど、じゃあ毎年ユダヤ暦の『イヤール月5日』にお祝いするんだな」と思いきや、実はユダヤ暦上でも日付がズレることがあります。

その原因は、ユダヤ教で最も重要な「安息日(シャバット)」です。ユダヤ教では、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日とし、この間は「労働をしてはいけない(車に乗る、火を使うなどもNG)」という厳格なルールがあります。

独立記念日の前日は「戦没者記念日」という厳粛な日に指定されており、国を挙げて追悼行事が行われます。もし独立記念日(イヤール月5日)が金曜日や土曜日になってしまうと、追悼行事や、独立記念日の楽しいお祝いの準備が「安息日のルール」に違反してしまいます。

そのため、安息日と被りそうな年は、祝日そのものを前後に1〜2日ずらすという法律が定められているのです。

独立記念日の前日は「国中が黙祷を捧げる日」〜ヨム・ハジカロン〜(Yom Hazikaron)

イスラエルの独立記念日(ヨム・ハアツマウート)を語る上で、絶対に外せないのが前日の存在です。今年は4月21日がメモリアルデーでした。

独立記念日の直前24時間は、「ヨム・ハジカロン/ Yom HaZikaron(イスラエル戦没者およびテロ犠牲者記念日)」という、一年で最も厳粛な日に指定されています。国を守るために命を落とした兵士や、テロの犠牲者を追悼するための日です。

この日、イスラエルでは他国ではなかなか見られない特別な光景が広がります。

街中・高速道路の車も止まる「2分間のサイレン」

ヨム・ハジカロンを象徴するのが、全国に鳴り響くサイレンです。
前日(20日)の夜8時(1分間)と、当日(21日)の朝11時(2分間)の計2回、国中にサイレンが鳴り響きます。

筆者

そうです、ミサイル警報のサイレンと同じ「あの音」…。私個人としては、追悼のためのサイレンと言えどもあまり聞きたくありません、正直。

このサイレンが鳴っている間、イスラエル国民は全員、その場で立ち止まり黙祷を捧げます。
歩行者はもちろん、高速道路を走っている車やバスもすべて路肩に停車し、運転手や乗客が外に出て直立不動で頭を垂れるのです。カフェもスーパーも仕事の手を止め、国全体が完全に「静寂」に包まれます。

また、テレビやラジオも娯楽番組の放送を一切やめ、追悼式典の様子や犠牲者の名前が延々と流されます。

私は21日のサイレンを、テルアビブのビーチで聞きました。

なぜ「深い悲しみ」と「お祝い」が連続しているの?

不思議に思うのは、なぜこの最高に悲しい追悼の日が、最高にハッピーな「独立記念日」の直前にあるのか、という点です。実は、これには深い意味が込められています。
イスラエル(ユダヤ教)の1日は「日没から始まり、翌日の日没で終わる」という数え方をします。つまり、ヨム・ハジカロンの日没を迎えた瞬間、「戦没者記念日」から「独立記念日のパーティー」へと切り替わるのです。

さっきまで国中が涙を流し、厳粛な追悼式典を行っていたのに、日没の合図(国旗が半旗からスルスルと一番上まで掲げられる)とともに花火が上がり(※今年も中止)、音楽が鳴り響き、人々は街に繰り出してBBQやダンスを始めます。

「私たちが今日、こうして独立をお祝いし、平和に笑い合えるのは、昨日までに彼らが命を懸けて国を守ってくれたからだ」

この強烈なメッセージを国民全員で共有するために、あえて「最も深い悲しみ」から「爆発的な喜び」へ、ジェットコースターのように感情を切り替える日程が組まれているのです。

イスラエルの独立記念日が毎年日付を変えながらも、常にこのヨム・ハジカロンと背中合わせになっているわけですが、このメンタルの切り替えの早さはイスラエル人だからこそ成せる業かもしれません。

「ヘルツェルの丘」で執り行われる、独立記念日のセレモニー

黙禱を捧げて過去を振り返ったあとは、明るい未来に向かって一直線です!毎年盛大に執り行われる「独立記念日セレモニー」。今年は中止にならなくてよかったです。

21日夜八時から行われたセレモニー。全チャンネル一斉にこのセレモニーを放映していました。今年は録画ではなく、ライブ中継でしたよ!まるでオリンピックの開会式かと見まがうような、派手な演出の連続です。

顔出しNGの軍人(?)によるスピーチも。全部ヘブライ語なので、何言ってるかまったくわからなかったのですが。中継は2時間ほど続いていました。

今年もあった、カラーガードのお姉さんたちのパフォーマンス。リハーサルも含めて入念な準備をして臨む、一年に一回の大イベントです。

飲んで食べて踊って!思いっきりはしゃぐのがイスラエル流!

22日の夜から深夜まで、テルアビブ市内のバーやレストランでも数多くのパーティーが実施されていました。(私は行ってません!)ご近所からも爆音の音楽が漏れてきたり…夜通しひたすら騒ぐ!楽しく過ごす!という振り切れた祝福をするのです。

ちなみに独立記念日のホームパーティーは、準備にも余念がありません。

Osher Adにて

この「スノースプレー」を巻き散らすのも、イスラエルならでは?なのでしょうか。環境や人体に有害である、とテルアビブ市のサイトでも警告されていますが、お楽しみはお楽しみ…!

古い動画ですが、このようにスプレーを掛け合って(?)大はしゃぎするのです。

私個人としては、バーベキューもお祝いも特にしていませんが、この日はテルアビブ美術館が無料開放していたので立ち寄ってきました。

草間彌生展、いつか行ってみたいと思っていたのでよい機会でした。

思い思いに楽しいひと時を過ごす、イスラエル独立記念日。紆余曲折、波乱万丈の78年だったと思いますが(そしてこれからも!?)、エネルギッシュでへこたれないイスラエルの国力、ユダヤ人の結束力をまざまざと見せつけらたような、そんな独立記念日でした。

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